防災発表と凹む事
あーーー
とりあえず、本日入職式がありましたね〜
新人さんが入ってきまして、防災委員として発表をしてきました
50人近く相手に・・・40分近くも
う〜ん
過去最長かも
で、口で説明した後、実際に消火器などにも触ってもらう
4グループに分けて、他の委員の人と協力して行ったけど、トータル1時間半くらいかかった
新入職者の祝いの日だけど、裏方は辛いのよ
で、さてさて前回の日記の続きと行きますかね。
患者との信頼関係を保ち続けるのが辛いのが、ガンを告知していない患者さんとのやり取りね
どんなに明るい人でも、告知をされていないと、自分は何で入院しているんだろうと、疑心暗鬼にとらわれていく。
そりゃそうだ
病名は肺炎とか、リンパが腫れるだとか、胃潰瘍が進行して飲み薬だけじゃ聞かないとか、言われても、それで自分が死ぬとは思えないような病名を言われているのに、薬をのんだり、点滴をされたりすると、大概にして気分が悪くなる
(ほとんどの抗がん剤には副作用として吐き気、脱力感などがあります)
となると、薬を飲むことに抵抗を覚える
でも、家族は貴方のためだから飲めという
なんつーか、 患者自身のことなのに、その肝心の患者本人が蚊帳の外に追いやられているんですよ
本人に何も告げないというのは非常に残酷なことだと思います
もう年なんだし、本人にガンだと言ったら、ショックを受けると思って、告知をしないでほしいと頼む家族もいます・・・が、
どんなに年であろうとも、若かろうとも、人はいつか死ぬのです。
その人の人生の幕を閉じる役目というものは、その人本人の意思において行うのが正しいことだと思います
ガンといわれれば、そりゃ数日はショックは受けるでしょうが、人は強いものです
テレビや漫画のように自暴自棄になるような人はまずいません
受け入れ、副作用の説明も十分に受け、本人が納得して抗がん剤の治療を受けます
本人が受け入れ、納得したのだから、吐き気が起こっても、続ける人もいます
薬を飲まない、飲んだけどやっぱり止めるという判断をされた方もいます
それはそれで、自己決定に基づいています
その方が判断されたことですから、それは最優先で尊重させていただきます
自らの事を自らが決定するということは、自らの人生という名の舞台で主役を演じていることになり、けっして蚊帳の外ではなく、その人が中心にいるという事を意味します
そして、その先が死であっても、それは尊厳ある死であるといえると思います
そういう意味では、告知をしないという行為は、一見、本人の事を大切に思って、言わないでいると思いがち、というか、言う勇気が無いというか、まぁ、ある意味では日本人的美徳感に裏打ちされている行動といえるのですが・・・ それはむしろ、その人本人の尊厳を奪ってしまう行為になりかねない
尊厳死というと、ちょっと前にマスコミで騒がれた、自殺ほう助的な意味合いを含むイメージがありますが、死ぬまでの間、その人の尊厳を大切にするというのも、尊厳のある死だと思います
とまぁ、ちょっと難しいこと書きましたが、
告知をしていない人に説明するって事は、嘘を貫き通すって事じゃないですか
家族が言うなというのだから、赤の他人のおいらは真実を言えません
患者が苦しいとき、すがるように聞いてくるけど、あらかじめ用意した嘘を話して、愚痴を聞くのみ僕が発する慰めの言葉も・・・なんていうか、うそ臭いのよね(本当に嘘だし)
僕自身が患者さんに真正面に向き合えてないというか、 僕自身は向き合いたくても、向き合えない状況にあるのを、患者さんは敏感に感じ取るのですよね
そうすると、最初は信頼関係を築けていた患者さんが、徐々に僕や医者から離れていくのを感じるんですよねぇ・・・
これはねぇ・・・ 辛いよ
どんなに苦しい状況にあるがん患者でも告知している人は、まだ気楽といっちゃぁ失礼だけど、前向きに仕事に望める分、また数日したら様子を伺いに行こうと思うけど、告知していない人には行きにくい・・・