ふつ〜 パートツー

こんばんは79ersです。
今日は「普通」についてお話しようと思います。
さて、皆さん覚えているでしょうか?
私が前回「普通」という感覚について語ったことを……
その時、こう言いました。
「普通という感覚は普遍的なものでなく、周囲の状況によって変わる」と……
 普段「時間を守ることが普通」の私達ですが、時計がなかったり、時間を守る習慣がない場所では普通でなくなくなると言った例を出してお話したかと思います。
それでは一人で同じ場所にいる場合、「普通」という感覚はどうなるのでしょうか?
例えば、我々が20歳以上となり、働くことが普通になりました。これは本来「普通」の感覚なのでしょうか。子供の時は、遊ぶことが日常だっただけに、仕事をすることは特にありません。そこから見たら「普通」ではありません。いわゆる時によっても大きく変わるのです。
更に人間、普通でない状況が続くとその状況が「普通」となってしまうことがあります。例えば、毎日残業ばかりの人がいます。その人がある日、定時で帰れるようになりました。定時で帰ることを普通としますと、この人はやっと普通の状態に戻ったと言えます。だが、この人の感覚から見ると、それまで残業が普通の状況だっただけに、定時に帰ることは「普通でない」状況になる訳です。

つまり何がいいたいかというと「普通」という感覚は、「周辺の環境からという外からの意味」と「自分の中でのという内からの意味」という二つの相反する感覚が「普通」という感覚にはあるのです。
それだけに、その反する二つの感覚が、「普通」という感覚が事件につながっている。
そうニュースを聞きながら思いました。