時点移動を考える

tukiです。
今日はちょっと本格的に創作の話題。
私なりの持論ですので、それをまともには受けられませぬよう。


私は作品に回想シーンを多用します。
伏線として使う場合もあれば、エピソードの抽出として使うこともしばしば。
個人的には「我流テクのひとつ」と考えております。
しかしながら、これをよしとしない考え方もあるようです。
先日の話をぶり返すようですが、「時点移動」に関することですな。
「先が読めるから面白みに欠ける」というのがその理由とのこと。
…ですが、それが全てでしょうか?


人は「結果」を重視するタイプと「過程」を重視するタイプに分かれると思うんですよ。
これは創作において、作る側にしても読む側にしても同じです。
「結末は分かっている。でも、どのようにしてこうなったのか?」を気にする人も決して少なくはないでしょう。
ファンタジー系の話においても、過去のエピソードがそのまま伏線になることもありうるわけですし、そこはまた重要なことなんじゃないかなと思います。


私が回想を多用するのは、あくまで「過程」を描きたいからこそなのです。
「過去」があるから「現在」があるわけです。
過去を描くことによって物語に厚みを持たせることができれば、それはそれで面白いとは思いませんか?


ゴールはひとつ。
でも、そこに至るまでの道は無限にあるのです。
変に「結果」だけを考えず、「結果」を前提にした「過程」を考えてみるのもまた創作の楽しみだと思いますよ。


さて、今夜はこの辺で。



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